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カストリ雑記

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母親戦争:完結編 覚悟とは

私はやった。
私はついにやったのだった。

「なんと大袈裟な」と言われるかもしれない。しかし、私は長年にわたり溜めに溜めたフラストレーションを、発散すべき人に対して発散することが出来た。
子どもの延長線上にいた私にとって、親に楯突くということは非常に緊張感のあるもので、また、楯突いたことや楯突くために重ねた準備によって私は「まだ、子どもの延長線上にいる」という自覚が生まれた。

子どもから大人になるということ。それは、18年や20年生き長らえることではない。誰かが用意したイベントに、振り袖や袴のコスプレで参加することではない。お酒を飲むことでも、煙草を吸うことでも、ギャンブルに興じることでも、親以外の人の体温を有り難がることでもない。

自分のパーソナリティーと戦った先に、自分を由しとする心が初めて生じるのだ。
私は、今やっと自由になれた気がする。

「前向きに」「上を向いて歩こう」なんて言われても、正直な話「それが出来れば苦労はねぇよ!!」と、今でも思います。
クッサイことを言うようだが、大切なものはきっと足下にある。温泉とか宝石とか石油とか、あとなんだ?レアメタル?大体の大切なものや貴重な物は、俯いた時に見た足下や、座り込んでは冷たさを感じた地面の下に潜んでいるのではないか?と、私は思う。


26歳の夏休み、初めてその正論を心から理解することが出来たし、26年もお付き合いがある私自身を私は初めて好きになった。好きになれた。

前回の記事で、この数十日間のことを「葬式」と喩えた。前に進むためや、大人になるためには、何かを手に入れることも必要だが、自分が選択出来なかったことや取りこぼしたことを認めることも必要。それに「自分の身に降りかかること(幸せなことでも不幸なことでも)は永遠ではない」と自覚することも必要だと私は考える。
そのために、何か自分の中で葬式のようなデカいイベントを起こすことも必要なのではないだろうか。


まぁ、よくもここまでやったものだ。お疲れ様、自分。

なんで、私は母にも父にも、1度も涙を見せずあんなことが言えたのだろう?



そうだ、私は真面目で、負けず嫌いで、頑固で、100点満点が好きで、火が着いたら止まらない性格だからだ。あと、かっこいいものが好きだからだ。寝ても醒めても少年マンガ夢見てばっかだったからだ。


あぁ、



母と同じだ。




私は母と同じなんだ。
「四半世紀以上も嫌いだった自分のことが、今は好きになれる」その変化を起こせたのは、私が母と同じ性格を持っているからだった。

母みたいにはなりたくない。母に馬鹿にされ続けたくない。母がいい気になっていることが気に食わない。どうにか母に一矢報いたい。
その執念深さは、紛れもなく母から受け継いだものだったし、「自分が180度変わるようなデッカい変化を起こしたい、起きるかな、起こそうかな、起こさなきゃ、起きるかな、起こそうかな、起こしたいな……や、もう、100点満点目指してやるしかないでしょーー!!!うりゃー!!!もう負けたくない!!!」と突き進めたのも、そこに至るまでに自分一人で悩んで10余年もかけてしまったことも、全部母から受け継いだ性格だ。

突飛な行動を取っても、奇妙な人生選択をしても、どれもなんだかハマらなくて、自分でした選択にも関わらず、その先にいる自分を好きになれなかったのは、自分の本当の個性から目を背けていたからなのだと、今心から感じる。

私の中に母がいる。
私の個性は母からもらったものだ。
母が内側にいたから、行動を起こせた。そして、私は私を好きになることが出来た。
だから、母に感謝したい。



最後に、

ジョジョの奇妙な冒険 第5部』で、プロシュートの兄貴が、言ったことを理解しない弟・ペッシに対して「マンモーニ(ママっ子)のペッシ!」とお尻をペンペンするシーンがある。その後、ペッシは兄・プロシュートの死後「兄貴の言っていることが頭ではなく心で理解出来たッ!」と言う。
私は長いこと、『ジョジョの奇妙な冒険 第5部』のこの言葉が好きだった。今でも大好き。
その言葉を今、マンモーニの私はようやく「頭ではなく、心で理解出来たッ!」


『覚悟とは、犠牲の心ではない。覚悟とは、暗闇の荒野に進むべき道を切り拓くことだ。』



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「毒親」という言葉が社会現象化している昨今、その分析や痛みの共有は出来ても、そこから先の道筋はまだ示されていないことが多いような気がします。
これもまぁ、極端な一例として読んで頂けたら嬉しいです。なんてったって、10余年も立ち止まってしまったのですから!もっと適当にやればよかったのにね!
これは極端な例だったかもしれませんが、「◯◯だから、実家を出る!」とか「◯◯だから、正月に帰らない!」とかでも、言葉を持って親にきちんと反抗する儀式は大人になるうえで必要なのかな と思います。
何故、私がこのようなことに踏み切れたかに関しては、自分が親が私を産んだ年になったからという動機の他に、「自分を受け入れてくれる友達」「尊敬出来る、精神的に自立した大人の友達」がいたからです。
私と母はだいたい同じ性格ですが、社会との繋がりを求めたか求めなかったかが大きく2人の道を分けたように思います。
「精神的に自立した大人の友達たち」に憧れ、私は自分自身の行動に疑問を持ちました。
母は真面目一辺倒な人で、それが嫌いで私は面白い人間になりたかった。だから奇抜さに走りました。でも、社会と関わりを持つ中で「面白い人って、変わることが出来る人なのかな。面白いって、変化することだ。そのはずだ!」と自ずと思えるようになりました。
本当にありがとうございます。

友人の皆さま、
そして、両親に、
今心から感謝します。