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カストリ雑記

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母親戦争 part3:最後の戦いへ

【前回までのあらすじ】
2015年、我が家は核の炎に包まれた!
娘はメンヘラ!母もメンヘラ!あらゆる健康な家庭を築く要素は死滅したかに思えた!
だが…、
娘は諦めてはいなかったぁぁぁぁーー!!
「俺を変えたのは、この俺の…この俺の怒りだぁーーーー!!」、サザンクロス(実家)で自分の気が済むまで大切な“人”を取り戻すために、大切な“人が人である所以を奪ったアイツ”に百烈拳を披露したたかだ。しかし、まだそれは戦いの序章であった!!(ナレーション:千葉繁)


母が他者に物を聞けなかったこと。母が社会との交わりを拒んでしまったこと。それが私が思う彼女の犯した最大のミスだと思う。
実は私は社会人経験の中で「報連相が余りにも出来ない」という理由で最初の職場をクビになっている。何回も面談をして「こんなに成績はいいのに。入社の時の筆記試験(知能テストみたいな簡単なもの)も平均450点くらいのものを800点は取るし、売上もいい。でも何故、報連相が出来ないのか。」と言われた。
私も彼女同様、不安な時やミスをした時に人に物を尋ねることが出来なくなっていた。
「大切な場所(家族、職場などの生活を支える場所)では常にいい顔をしていないといけない。」その刷り込みが強過ぎた。何故なら殴られるから。何時間も何時間も怒鳴られるから。私がミスを犯した時、彼女は容赦なく怒り、私に正論過ぎる正論をぶつける。あまりにも建設的で正しい言葉であったため反論の余地はない。謝れば「謝って済む問題?」と怒鳴られ殴られ、かと言って謝らなければ「なんで謝ることが出来ないのか」と怒鳴られ殴られる。「どうせぇっちゅうねん。」と当時から思っていた。彼女を怒らせたら心身ともに痛い。だから自分を守ろうとして何度も彼女にいい顔をしたし、そのいい顔をするために何度も嘘を吐いた。小さな子の嘘だからすぐに見破られてしまう。そして、私は「ダメな子」というレッテルの他に「嘘吐きな子」というレッテルをも貼られ、余計に痛い目を見た。しかし家庭では「ダメな子」と言われるが、学校へ行けば超優等生だ。私は「母が厳しくしてくれるから、勉強に不自由を感じることなく優等生でいられるのだ」と思うようになっていた。
彼女のシツケの極め付けは「彼女は散々怒り散らした途中に、“あなたのためなの”と泣きながら私を膝の上に乗せて抱き締めること」。当時から抱きしめられながら「アホくさ。」とは思ってはいたが、抱きしめられても泣かずに「はいはい。」と流せる自分に「彼女も人間だ。間違いも犯す。今こうやって反省しているんだから許してあげなきゃ。私もミスしたんだし。はぁ、私ってなんて大人なの!」と酔っていた。まぁ、その後彼女の気に食わないことを言えば秒速でまた殴られるのだが。「えぇぇっ?!さっきのは何ーー?!あ、そうか彼女に本当のことを言ってはいけないんだ。常に“正しい回答”をしなければいけないんだ。」と思うように。
私は自分の成したことをありのまま他人に伝えることが怖くて怖くてたまらない人になっていた。
先ほどチラッと述べたが、両親の熱心過ぎるほどに熱心な教育のおかげで、成績も優秀でまず学校で他人に物を聞くということはないし、陰で努力している私に、特段仲良くもない人が授業中だけ「たかださん、答え教えて」「たかださんすごーい!天才!」と擦り寄ってくることがとても嫌で「自分の手を動かして自分で考えないと身に付かないよ。」と跳ね除け続け、「人に物を聞くことは恥ずかしさの極み」とまで思い込んだ。
報連相」というコマンドが完全に消えた状態で社会人になってしまった。そして職を失った。成績はいいのにチームワークの意味は、報連相の意味は知らずに育った。

そして、この問題は仕事だけに止まらなかった。恋愛や人間関係においてもそうだった。
大切な人に見捨てられたくないから、大切な人には都合のいい振る舞いをした。しかし、都合のいい振る舞いをし続けることは本来の自分からどんどん乖離していく。乖離するから、本当の自分を晒け出せる人の元に行く。好きでもないし失礼千万な振る舞いをしても、目の前に女性器というニンジンを吊り下げとけばどうにかなるような人。そんな人をそこかしこに作っては、本音を言えない自分と、本音を晒け出したとしても抱かれる(愛されているとは思わないが、一定の基準はクリア出来ている と思える)自分とを作って、どうにかバランスを取ろうとした。私は人間で、人間扱いをされることに誰よりも餓えていたはずなのに、人形や人参のような人になってしまった。
男性もATMや種馬なんかじゃない。人間だ。私はアブユースを誰よりも恐れ、誰よりも嫌っていたいのに、私はそれを平気で行うようになった。

さて、
母も私のように誰にもいい顔をしてしまうグッドフェイスコンプレックスの持ち主。グッドフェイスコンプレックスというのは面食いという意味ではなくて「ついつい他人にイイ顔をしてしまう人」の意味だ。
「自分をよく見せたい」という心の裏側には、「かっこいい人でありたい」のさらに奥に、「見捨てられたくない」「見離されたくない」という弱さがある気がする。
彼女は誰に見離されたくなかったのだろう?夫(つまり私の父)かな?貧困家庭に生まれ育った彼女は生活インフラへの憧れが強い。彼女の結婚は言うなれば格差婚だと思う。その生活インフラへの憧れの強さのあまり、賢い女性とは何かを考えることなく、「賢さ=強さ」という図式に囚われ、強そうな女性を演じ、彼女も彼女で辛苦していったのだと思う。彼女もまた私と同様に弱い人だ。
強いということは、誰にも頼らないことではない。自分の弱さを認め、弱さと向き合い、出来る限りの努力をし、行き詰まったら他人に「手伝ってー!!」と声を上げて他人の強さを認めることだと思う。
それが出来ない人、つまり地盤が緩い人は弱い。張りぼての強さはいずれ崩れる。
世の中にはそれに気付かない人もいる。環境によって奪われてしまった人もいるだろうし、性格的に臆病過ぎる人もいる。
その上、生きていくためにはお金が必要だから、生活強者に擦り寄っていかないと生きてはいけない者もいる。
私も、お金持ちがとにかく好きだった。兎にも角にも私は親への依存なしには生活インフラが欠如する。お金持ちが好きなのは依存先を乗り換えたかったからなのだと思う。勿論、お金持ちの方がいい学校教育を受けている確率が高く、たくさんの文化的な資源を与えられた分だけ言語野も広く、高等教育を受け真面目に取り組んだ分だけ「複眼的に物事を見よ」という姿勢は身に付いている場合が多いため、話も面白いし、勉強になるものが多い。
でも、どうなんだろう?滑り台社会を必死に生き抜いてきた男性たちと話すと、彼らからうら寂しさを感じた事も多々ある。
「生活ツールを手に入れることが全てを自由にするわけではないのではないか?」という疑問を持ち始めたのは最近のことだ。

我が家の場合は、限りこそあるが金銭的な支援を親がしてくれている。お金持ちではないが、貧しい家庭というわけでもない。
家計を支える父は本当に頑張ってくれている。
しかし、父にもミスがあった。
それは、「妻に甘え過ぎたこと」だ。
恥ずかしいが何度も言う。私は優秀な子どもだった。「父の収入と母の家事やり繰りによって、私が生きていける力が左右される」ということは一桁くらいの年齢の時には既に理解していた。だから、「父が仕事へのやる気を失ったら、私たち、死んじゃうかもしれない。」と心配をして、父には取り分けいい顔をした。
父も父とて理不尽なほどに厳しかった。それでも「お金は父しか捻出できない」とわかっていたため、母よりも父に擦り寄った。
「経済力があるから」という理由だけで人に擦り寄り痛い目を見た経験が何度あっただろう。私はお金持ちに愛でられる美女じゃなかろう、自分で自分を生かす安心感のある後ろ姿で惚れさすしかなかろうに。何を身の丈に合わないことをしていたのだろう。

そうだ。
出資元の父に、きちんと自分の言葉で「今まで何をされたことが傷になっているのか」「妻の性格を理解せず、妻がより生きやすくなれるような声掛けが何故できなかったのか」「私がそれにより、その後どのような生きづらさを感じたのか」「何故、仕送りをして欲しいのか」「何故、その金額が必要なのか」「現状、自分はどれだけ稼げるのか」「仕送りの他に、父に家族という組織を改善するために協力して欲しいこと」「母とはやはり仲良く出来そうにない」ということをきちんと説明しよう。耳触りの悪い言葉になろうとも。きっと父ならわかってくれるはずだ。そこで親子関係が瓦解してしまうなら…してしまったら…どうしよう。やってみなけりゃわからないか。
そして「大学卒業したらきちんと働く」という宣言をしよう。
私は「娘だから、若いから、女だから、父とて私に色んなことをしたのだから、お金を貰って当たり前」と実は思っていたんじゃないだろうか。
もう、そういう意識ともお別れしよう。心の底からの幸せを掴むために。
父を納得させて、嫌味を言われない罪悪感のない生活を送りたい。今の我が家は三者三様、罪悪感を背負って生きている。
きちんと、説明しよう。プレゼンしよう。社会人として父と本音で話がしたい。
範馬刃牙』で刃牙が言ってた。「親子喧嘩って権利」って。
私は母とは違う。私は今までの顔色を伺ってばかりの私とは違う。や、違うかな?でも違っていたいな。

よし!

確かめに行こう。



ぼしん戦争、最後の戦いの舞台は、

父の住む、函館です。



(次回、五稜郭の戦い編に続く)




※書いてしばらくして、「この俺の怒りだぁーーーー!!」はサザンクロスでのシンとの戦いではなく、ジャギとの戦いの台詞だと思い出しました。「これはシンの分!これは…」ってヤツだ!
シンの時は「執念」ですね。