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カストリ雑記

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“人”には悪の救世主が必要なんだよ

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『悪には悪の救世主が必要なんだよ。』

ジョジョの奇妙な冒険 第3部の悪役ンドゥールが事切れる際に放った一言。
ジョジョの奇妙な冒険を知らない方にこの言葉の背景をザックリ説明します。
ンドゥールは主人公の敵DIOの手下です。盲目かつ特殊能力(スタンド)が使えるが故に世間から疎外感を感じ、幼い頃から自分のスタンドを使い様々な悪事を働いてきました。DIOと出会い、彼に自分を肯定してもらえたことをきっかけに彼を『救世主』と崇め盲従しました。DIOの謎を追う主人公・承太郎の一行に敗北した後、“救世主”の居場所を絶対に知られまいと自害したンドゥールが最期に放った一言が『悪には悪の救世主が必要なんだよ』です。自分を肯定してくれる存在は何よりも癒しとなりますから、ンドゥールにとってDIOはこの上ない癒しだったのでしょう。
ジョジョの話はこれくらいにして、私は悪役こそ現代の癒しであると思っています。救世主だと。

7月5日に映画『マレフィセントが公開になり、初日2日間の興行収入が『アナ雪』を超えたと話題になっています。
マレフィセントの主人公は『眠れる森の美女』の悪役です。
眠れる森の美女』以外のディズニーアニメが実写映画化された例は複数あります。
その際に悪役を演じた女優は錚々たる面子です。
白雪姫のお后様をジュリア・ロバーツが、アリスの赤の女王をヘレナ・ボナム=カーターが、101のクルエラをグレン・クローズが。
いずれもプリンセスよりヴィラン(悪役)が大人向けディズニー作品の肝になっているのは、これらのキャスティングを見れば一目瞭然です。
そして今回ついにヴィランが映画の主人公になりました。

ディズニープリンセスは美貌と若さを武器にしています。『貴女は美し〜♡』とか言って擦り寄ってくる白馬に乗った王子様と、せ、せ、せっ、セッ…、接吻しちゃう。なんとふしだらな!!
しかし、ヴィランたちはプリンセスに対するルサンチマンを素直にひけらかしながら、自力で学習した知識と辛酸を舐めた経験、そこから得た色気と貫禄と知性を武器に、出る杭を打ちまくるわけです。
私、他人の持ち物に対してのルサンチマンを素直にひけらかせるって結構羨ましいと思うんです。
『自分には出来るの?』『それ、ブーメランになってない?』『嫉妬なんて醜いよ?』そんな言葉がよく言えば理性、感じたまま言えば足枷となって個人のパフォーマンスに制限を加えてきます。それってストレスになりますよね。
人間なんて嫉妬して、泣いて、怒って、当然じゃないですか。
でも『どんな辛い言葉を吐かれても、怒りの琴線に触れるような言葉を吐かれても我慢して、いい言葉で切り返しをしないと人と円滑なコミュニケーションとれないよ』なんて刷り込みをされ、我慢して生きていかなければならない場面に多々巡りあいます。
そこにストレスを抱えている人や、『無垢で可愛い』よりも『知性と主張』で生きていたい女性がヴィランが主人公の映画を求めているのではないでしょうか?

『アナ雪』を超える興行収入という結果は、映画の評判ではなくヴィランの羨ましいまでの傍若無人さに惹かれたからではないか。
心のどこかで求めていたから溜まりに溜まった怒りや憎しみ、自分の持ち物不足への悲しみを解放したいと思っている人が多いのではないか。
私はそう思います。

『アナ雪』は親子連れも多いと思いますが、『マレフィセント』は大人だけで観るでしょう。だから劇場に純粋に『観たい!』という意志を持った人が足を運んだ人数は、『マレフィセント』の方が絶対的に多いはず。
それだけ、今『“人”には悪の救世主が必要なんだよ。』という風潮が目に見えない心の奥底で流れているということなんだと思います。
マレフィセント』ヒットの背景には、ヴィランの傍若無人さに癒し効果を求めたたくさんの人の方がいるのではないでしょうか。










【余談】
このブログを書く前に、『マレフィセントって、糸車の針先に毒を塗ったんだっけ?呪いをかけたんだっけ?』と思って色々調べたなかで、私が初めて知った情報があります。
糸車を使って仕事をする女性(=糸紡ぎ)を意味する“spinster”が実は欧米では『未婚の女性』を意味する言葉で、イギリスでは性革命後の今もなお法律用語としても使われているそうです。
『結婚や妊娠が出来る年齢に差し掛かる女の子に対して、“糸車に触れると死ぬ”という呪いをかける』といった描写にはなにか意味があるのだろうと思います。(ぃよッ!文系脳ッ!!)
『そんなものに触れたら結婚出来なくなっちゃうよ!幸せになれないよ!』という意図があったのでしょうか。