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カストリ雑記

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10年ぶりに会う“彼女”

清々しい五月晴、そして母の日だったというのにもかかわらず、私は漫画喫茶に休日を費やしました!!

急に彼や彼女らと10年ぶりに再会したくなりました。

 

私が会いたかったのは、ちせ、シュウジ

そう、最終兵器彼女です。

 

10年前、まだ中学校3年生だった時に初めて出会った時は、健気なちせ、不器用な男子高校生のシュウジなどなど、それぞれの登場人物のキャラクターを15歳なりに読み分けした上でストーリーを追い、作品全体に漂う『なんだか切ない雰囲気』を楽しんだものです。

恋愛経験も性体験もない。女子校育ちであるが故に、共学校と世界戦争が同じくらい未知の世界。全編をファンタジーとして雰囲気を楽しむに留まったあの頃から10年。

今になって、なんだか不意に読みたくなったのです。

それなりの経験を、いや、人一倍経験を積んだ今改めて読んでみると、15歳の時とはまた違った読み方が出来ました。あと、大号泣しました。

この作品、

・非常にラフな画風(もともとの高橋しんの画風でもある)

・登場人物全員、苗字がない。そして、平仮名もしくはカタカナ表記である

・場所は北海道の小樽と札幌の間あたり(?)とおおよそよ場所は特定は出来るものの、時制の特定が難しい(『ポケベルなんて今どき持たない』とされているので、古くとも90年代後半ではある。発行されていた当時、高校生の間ではルーズソックスやギャルルックが流行っていたろうに、そのような生徒は一切登場せず、流行り廃りのないスタイルの高校生のみが登場する。新しさもなければ古さも感じさせない。)

・主要な女性登場人物がだいたいみな同じような髪型で、目立った描き分けがない

といった点から、視覚的な面からも設定的な面からも、特定のキャラクターに感情移入『しない』ように描いているのではないかという点に気が付きました。出来ないわけではないけれども、作者の意図としてはキャラクターなんてものは符号でしかなく、少女漫画や少年漫画によくありがちなキャラ贔屓をしながら読むことは推奨していないように思えます。

ですから、一読者が「ココが泣き所だ!」やら、「コレが名言だ!」やらと、細かいところをピックアップして、つらつら感想を述べるのは作者の意図と作品の世界観をスポイルすることに繋がると考えられますので、特定のシーンや台詞をピックアップして感想を書くことはしません。各自で読みましょう。



全体を通して『そもそも恋には泰平やら安寧なんてなくて、いつだって無秩序で辛苦はつきものである。』と諭されている気分になりました。


恋こそ苦しみ。苦しみこそ恋。しかし恋は希望。そんなパラドックスと彼らは常に戦争をしていました。記憶と心と体の不一致が行動を邪魔する苦しみです。世界の終末が舞台ともなれば、そりゃ尋常じゃないくらい切羽詰まっているわけですから苦しさも増すことでしょう。

『記憶と心と体の不一致が行動を邪魔する』なんてシーンは現実世界にも起こり得ることです。平和な日常を送る私たちも、ときめきよりも苦しみの方が多く感じられた時が本当に人に恋をしている時なのかもしれません。

苦しくて当たり前なんです。きっと。でも『僕は、恋していく』んですね。「苦しいならしなきゃいい。」そこまで建設的になれないのが人間です。漫画に登場した彼らも、現実世界を生きる私たちも。


性描写もこの作品の核となっています。

青年漫画の括りではありますが、真に心と体のコミニュケーションとしての性行為を描いています(“劣情”という表現が似合わない感じ)ので、女性でも読みやすいと思いますよ。


図太くなって、感覚が麻痺しかけている人にとっていい薬となる作品です。心の強い人になる必要はないし、『強くなる』『強くなれた』なんていうものは幻想で、ただの感覚麻痺であることに気付かされるでしょう。

人の弱さ、優しさ、ずるさ、強さ、全部を抱き締めてくれる作品だと思います。